いつきが日々を綴ります。日々のぐだぐだを語ったりしてます。時々本の感想が紛れ込んでたりするかもです。
+ + + + + + + + + +
Side.B
で、妻を溺愛する旦那さんの話。
どうしてそこまで甘いのか、という問いに答える彼が、すごく可愛かった。妻を甘やかすのが人生の目標だときっぱり言いきれる彼はある意味凄い。
『夫は妻の安眠を守るのです』という語り口から、かなりチャーミングな旦那様だと知る。どちらかと言えば、Side.Aよりは軽い語り口から始まった。
こちらの出会いはかなり衝撃的。
でも面と向かって、『この人の本が好き』と零されて、その本を書いたのが自分だったら、気になるもんかなーと思う。
すごく、最大の殺し文句だろう。一発でやられそうだ。
アドレスも、かなと思う。
題名をメルアドにされるのは、最大だろう。かくいう私も、ある作中の人物の名前が、友人のメルアドに入っていますが、そうされるの好き。
あと、ブログの名前に、文章からとっていいですか? と問われたときとか。ちょっとくすぐったくて、嬉しくなる。
ま、モノ書きのなり損ないですからね。私だって。ええ。
誤植のお話に、さっきまで泣いてたわたしが笑って、母親が怪訝な顔をしました。
その後すぐ号泣して、さらに怪訝そうに見られるわけですが。
誤植、観測したら増えるとか……ま、ちょっと納得しないでもないけどね。
書き上げて20回読んで、書き直してまた10回読んで、忘れた頃に5回読んでも(大抵投稿サイトに載せるときの平均)まだ出てくるくらいだからね。
恋愛対象の言い方が好きです。彼の言い方が。私は少なくとも、読書を馬鹿にする人間とは一緒に生きれません。
というか、自分の好きな作家さんを批判する人とも多分付き合えない。あんまり好きじゃないな、までは許せるけど、それ以上言ったら無理。
気持ち悪いファンですから。
この物語は、ベタ甘じゃないのに、さりげなくベタ甘だから困る。
泣く、と分かってる紹介文で、泣いたSide.Aを見た後で、こういうベタ甘を出されると泣きたくなるほど愛しくなる。
事故で死なれるのと、癌とか余命の分かる病気で死なれるのと、違いはあるんだろうか、とふと思った。
もちろんどちらも悲しく、どっちがより悲しいか、なんて考えるだけ無駄なんだけど、どうしても考えてしまう。
どっちだと、より耐えられなくなるんだろうと。
突然だと心の準備も何もない。病気だと残された時間が悲しくなる。どっちも本当だし、そのどちらにも分からない悲しさというのがあるんだろう。
事故には事故の、病気には病気の悲しさがあるんだけど。
命を助けてください、と願うとき、多分それは自分のため。誰でもそうだと思う。その人のためじゃなく、残されたとき泣きたくないから。
苦しくて、辛い思いをしたくないから、だから『病気が治って欲しい』と願う。残された自分が、一人で立っていられるかどうかなんて、分からないから。
悲しいのに、わずかに甘い。子供を作りたくない理由を聞いて、我慢してた堰が切れた。あっけなく、嗚咽が漏れて、家族に失笑される。
盛大に死に損なって欲しいなんて、なきながら思う。
猫、とかね。怒る旦那さんとかね。
Side.Bでは匂わせるけど、はっきり書いてないのでそれが逆に切なくなった。
そしてあとがきがないというのも……。あの、先生、これはどこまでが本当なんですか、と私が問いたいです。
でもあれですよね、有川さんとこの旦那さんのお話とかも、ファンならちょくちょくと聞くので。
図書館戦争とか、図書館の宣言を見つけたの、旦那さんだし。
この本を呼んで色んなことを思い出しました。
世間一般に言ってまだまだ子供の私ですので、人の生き死にに直面することはあまりないのですが、数少ない経験がいくつも浮かんできました。
今のわたしでは、たとえそれがどんなに近しい人でも、大好きな人でも、死んで数時間たったその体を抱きしめることはできません。
猫でもできませんでした。冷たい体が、固いその質感が、否応もなくそれが『モノ』であることを突きつけてきて、触ることに嫌悪さえ覚えました。
汚らわしいとさえ、そのときの私は思ったんです。あんなに、大好きだったのに。
焼いたら、もう触れないんだよ。埋めたら、もう撫でられないんだよ、と何回言われても、怖くて辛くてただ側で見てるだけでした。
だからでしょうか。私は、事故よりも病気の方が辛いと思ってしまうんです。いつか死ぬと、分かってしまうその瞬間が怖い。
そのときがいつ来るのか、いつ自分が泣く事態になるのか、それでも無様に泣くのは小さなプライドが許さないので、平気なふりはする。
そういうとき、決まって『冷たい』って言われて、またそれで傷ついたりするんです。
一番近い記憶が猫なので、この話を読んで真っ先に思い出しました。
私が心身ともにボロボロだったとき、側にいたのが猫だったので、夜行性の彼の余命を知った日は、彼と一緒に一晩中遊んでました。
動物って凄いのは、人が泣いてるのがちゃんと分かるんですよね。でも人間みたいに、わざとらしく心配なんてしないんです。
横でただ、丸まるだけなんですよね。その距離感がすごく気持ちよくって、心身ともにボロボロだった頃の私は救われていました。
泣き笑いをして、『少しは慰めようと思わんのかね、飼い主なのに』と撫でていたときもありました。
余命を知った日も泣いちゃって、結局彼に呆れられた。普段はまったく近づかないくせに、『あー、もうダメだ』って思うと近づいてくるんですよね。
それで『君、やっぱり私のこと好きでしょ』と笑うと、機嫌を損ねるみたいに離れてっちゃう。
そんな彼が少しずつ痩せていくのを見るのが辛くて、治療を続けるか続けないかでよく両親と言い争ったり。
泣く母親に腹が立って、ひどい口調で責め立てたり。
彼が亡くなった日。
テストがあった日で、次の週もテストだったので、勉強をしてました。普段寄り付かない彼がえらくひっついてきて、『君も私が好きだねぇ』と言っても、離れることはなかったんです。
ふらつく足で、机に飛び乗って、邪魔をしてくるので『はいはい、邪魔しないでおくれよー』とか言いつつ、膝に乗せて、少ししたら膝に載せるのが辛くなって、床に置いたんですよね。
もう少し、ちゃんと抱っこしておけばよかったな、なんて後々になって思いました。冷たくなった体が抱っこできないなら、温かいうちに抱っこしておけばよかった。
滅多に抱き上げさせてくれなかったのに、どうして最後の最後で月曜日もテストだから、なんて思っちゃったんだろう。
どうして、私が辛いとき側にいてくれた彼を、最後の最後で床に下ろしてしまったんだろう。
泣いてもどうにもならないから、と泣くのをやめても、どうしても悲しくて、抱くこともできずに冷たい体の側でずっと話しかけてました。
今思えば、かなり危ない子です。
悲しかったのに、学校へ行けば自然に笑い、思考し、友人と話し、いつもどおりの授業を受ける。
ふと悲しくなるのに涙は出ず、友人の話に相槌を打つ。このときほど自分が冷淡だと思ったことはありませんでした。
多分、親が私に思っている『冷淡』ってこういう意味なんだろうな、と納得した。
一番最初に、彼の思い出話を出きるようになったのも、泣き出さず思い出せるようになったのも、家族で私が一番最初で、それが家族の中では批評の的だった気がします。
確かに冷淡だわ、私。
もしもう少し心が優しい人間だったら、と思わないこともないけど、今更優しい人間にもならないので、こういう本で一人自分に酔って泣きます。
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で、妻を溺愛する旦那さんの話。
どうしてそこまで甘いのか、という問いに答える彼が、すごく可愛かった。妻を甘やかすのが人生の目標だときっぱり言いきれる彼はある意味凄い。
『夫は妻の安眠を守るのです』という語り口から、かなりチャーミングな旦那様だと知る。どちらかと言えば、Side.Aよりは軽い語り口から始まった。
こちらの出会いはかなり衝撃的。
でも面と向かって、『この人の本が好き』と零されて、その本を書いたのが自分だったら、気になるもんかなーと思う。
すごく、最大の殺し文句だろう。一発でやられそうだ。
アドレスも、かなと思う。
題名をメルアドにされるのは、最大だろう。かくいう私も、ある作中の人物の名前が、友人のメルアドに入っていますが、そうされるの好き。
あと、ブログの名前に、文章からとっていいですか? と問われたときとか。ちょっとくすぐったくて、嬉しくなる。
ま、モノ書きのなり損ないですからね。私だって。ええ。
誤植のお話に、さっきまで泣いてたわたしが笑って、母親が怪訝な顔をしました。
その後すぐ号泣して、さらに怪訝そうに見られるわけですが。
誤植、観測したら増えるとか……ま、ちょっと納得しないでもないけどね。
書き上げて20回読んで、書き直してまた10回読んで、忘れた頃に5回読んでも(大抵投稿サイトに載せるときの平均)まだ出てくるくらいだからね。
恋愛対象の言い方が好きです。彼の言い方が。私は少なくとも、読書を馬鹿にする人間とは一緒に生きれません。
というか、自分の好きな作家さんを批判する人とも多分付き合えない。あんまり好きじゃないな、までは許せるけど、それ以上言ったら無理。
気持ち悪いファンですから。
この物語は、ベタ甘じゃないのに、さりげなくベタ甘だから困る。
泣く、と分かってる紹介文で、泣いたSide.Aを見た後で、こういうベタ甘を出されると泣きたくなるほど愛しくなる。
事故で死なれるのと、癌とか余命の分かる病気で死なれるのと、違いはあるんだろうか、とふと思った。
もちろんどちらも悲しく、どっちがより悲しいか、なんて考えるだけ無駄なんだけど、どうしても考えてしまう。
どっちだと、より耐えられなくなるんだろうと。
突然だと心の準備も何もない。病気だと残された時間が悲しくなる。どっちも本当だし、そのどちらにも分からない悲しさというのがあるんだろう。
事故には事故の、病気には病気の悲しさがあるんだけど。
命を助けてください、と願うとき、多分それは自分のため。誰でもそうだと思う。その人のためじゃなく、残されたとき泣きたくないから。
苦しくて、辛い思いをしたくないから、だから『病気が治って欲しい』と願う。残された自分が、一人で立っていられるかどうかなんて、分からないから。
悲しいのに、わずかに甘い。子供を作りたくない理由を聞いて、我慢してた堰が切れた。あっけなく、嗚咽が漏れて、家族に失笑される。
盛大に死に損なって欲しいなんて、なきながら思う。
猫、とかね。怒る旦那さんとかね。
Side.Bでは匂わせるけど、はっきり書いてないのでそれが逆に切なくなった。
そしてあとがきがないというのも……。あの、先生、これはどこまでが本当なんですか、と私が問いたいです。
でもあれですよね、有川さんとこの旦那さんのお話とかも、ファンならちょくちょくと聞くので。
図書館戦争とか、図書館の宣言を見つけたの、旦那さんだし。
この本を呼んで色んなことを思い出しました。
世間一般に言ってまだまだ子供の私ですので、人の生き死にに直面することはあまりないのですが、数少ない経験がいくつも浮かんできました。
今のわたしでは、たとえそれがどんなに近しい人でも、大好きな人でも、死んで数時間たったその体を抱きしめることはできません。
猫でもできませんでした。冷たい体が、固いその質感が、否応もなくそれが『モノ』であることを突きつけてきて、触ることに嫌悪さえ覚えました。
汚らわしいとさえ、そのときの私は思ったんです。あんなに、大好きだったのに。
焼いたら、もう触れないんだよ。埋めたら、もう撫でられないんだよ、と何回言われても、怖くて辛くてただ側で見てるだけでした。
だからでしょうか。私は、事故よりも病気の方が辛いと思ってしまうんです。いつか死ぬと、分かってしまうその瞬間が怖い。
そのときがいつ来るのか、いつ自分が泣く事態になるのか、それでも無様に泣くのは小さなプライドが許さないので、平気なふりはする。
そういうとき、決まって『冷たい』って言われて、またそれで傷ついたりするんです。
一番近い記憶が猫なので、この話を読んで真っ先に思い出しました。
私が心身ともにボロボロだったとき、側にいたのが猫だったので、夜行性の彼の余命を知った日は、彼と一緒に一晩中遊んでました。
動物って凄いのは、人が泣いてるのがちゃんと分かるんですよね。でも人間みたいに、わざとらしく心配なんてしないんです。
横でただ、丸まるだけなんですよね。その距離感がすごく気持ちよくって、心身ともにボロボロだった頃の私は救われていました。
泣き笑いをして、『少しは慰めようと思わんのかね、飼い主なのに』と撫でていたときもありました。
余命を知った日も泣いちゃって、結局彼に呆れられた。普段はまったく近づかないくせに、『あー、もうダメだ』って思うと近づいてくるんですよね。
それで『君、やっぱり私のこと好きでしょ』と笑うと、機嫌を損ねるみたいに離れてっちゃう。
そんな彼が少しずつ痩せていくのを見るのが辛くて、治療を続けるか続けないかでよく両親と言い争ったり。
泣く母親に腹が立って、ひどい口調で責め立てたり。
彼が亡くなった日。
テストがあった日で、次の週もテストだったので、勉強をしてました。普段寄り付かない彼がえらくひっついてきて、『君も私が好きだねぇ』と言っても、離れることはなかったんです。
ふらつく足で、机に飛び乗って、邪魔をしてくるので『はいはい、邪魔しないでおくれよー』とか言いつつ、膝に乗せて、少ししたら膝に載せるのが辛くなって、床に置いたんですよね。
もう少し、ちゃんと抱っこしておけばよかったな、なんて後々になって思いました。冷たくなった体が抱っこできないなら、温かいうちに抱っこしておけばよかった。
滅多に抱き上げさせてくれなかったのに、どうして最後の最後で月曜日もテストだから、なんて思っちゃったんだろう。
どうして、私が辛いとき側にいてくれた彼を、最後の最後で床に下ろしてしまったんだろう。
泣いてもどうにもならないから、と泣くのをやめても、どうしても悲しくて、抱くこともできずに冷たい体の側でずっと話しかけてました。
今思えば、かなり危ない子です。
悲しかったのに、学校へ行けば自然に笑い、思考し、友人と話し、いつもどおりの授業を受ける。
ふと悲しくなるのに涙は出ず、友人の話に相槌を打つ。このときほど自分が冷淡だと思ったことはありませんでした。
多分、親が私に思っている『冷淡』ってこういう意味なんだろうな、と納得した。
一番最初に、彼の思い出話を出きるようになったのも、泣き出さず思い出せるようになったのも、家族で私が一番最初で、それが家族の中では批評の的だった気がします。
確かに冷淡だわ、私。
もしもう少し心が優しい人間だったら、と思わないこともないけど、今更優しい人間にもならないので、こういう本で一人自分に酔って泣きます。
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無題
本の話はわからんけど。
そうか、猫ちゃん死んじゃったのか…。
大分前のことみたいだね。
シュンくんの話とか普通にするから、まだ元気なのかと思ってた。
天国で幸せにやってるといいね。時々またたびの差し入れを忘れないようにw
言ったかわからないけど、うちの猫も癌でどんどん痩せていってる。ごまじゃない方の子だけど。
1年前までふっくらして毛艶もよかったのに、たった1年で骨に皮をかぶせたような姿になって、毛も抜けてすごくみすぼらしい姿になってる。
うちもお金が無いから治療ができない。
でも食い意地だけは張ってて、とにかく食べるからまだ元気なのかなって思う。
私も親に冷淡って言われるw
いつきさんと同じタイプかはわからないけど、どうしようもならないことは長く続けられない。
私、ペットが死んだら悲しいけど、すぐに次迎える子のこと考えちゃうのよね。いつきさんより酷いかもしれん…。
昔は親から冷淡冷淡言われて悩んでたけど、今じゃ開き直って立ち直りが早いんだからええじゃないかと思っておる。
くだらんことではぐだぐだ悩むくせにね。
何年か前、お母さんを亡くした男の子がいて、落ち込んでたんだけど、しばらくしたらまた普通に生活できてた。
「もう前向いて頑張ってるよ、偉いねえ」って言ったら、うちの親は「もう母親のこと忘れるなんて、酷い子ね」って言ったんよね。
それは違うだろって思ったよ。死んだ命を悼むことは大切だけど、いつまでも縛られてるのは逆によくない。
そういえばどこかで、「男は過去に生きる生きもの。女は前を向いて生きる生きもの」って聞いた。
痛みに直面してもすぐに自分のペースを取り戻すことができる…なんて女らしい生き方なんでしょう!
ほらいつきさん、女子力女子力ww
そうか、猫ちゃん死んじゃったのか…。
大分前のことみたいだね。
シュンくんの話とか普通にするから、まだ元気なのかと思ってた。
天国で幸せにやってるといいね。時々またたびの差し入れを忘れないようにw
言ったかわからないけど、うちの猫も癌でどんどん痩せていってる。ごまじゃない方の子だけど。
1年前までふっくらして毛艶もよかったのに、たった1年で骨に皮をかぶせたような姿になって、毛も抜けてすごくみすぼらしい姿になってる。
うちもお金が無いから治療ができない。
でも食い意地だけは張ってて、とにかく食べるからまだ元気なのかなって思う。
私も親に冷淡って言われるw
いつきさんと同じタイプかはわからないけど、どうしようもならないことは長く続けられない。
私、ペットが死んだら悲しいけど、すぐに次迎える子のこと考えちゃうのよね。いつきさんより酷いかもしれん…。
昔は親から冷淡冷淡言われて悩んでたけど、今じゃ開き直って立ち直りが早いんだからええじゃないかと思っておる。
くだらんことではぐだぐだ悩むくせにね。
何年か前、お母さんを亡くした男の子がいて、落ち込んでたんだけど、しばらくしたらまた普通に生活できてた。
「もう前向いて頑張ってるよ、偉いねえ」って言ったら、うちの親は「もう母親のこと忘れるなんて、酷い子ね」って言ったんよね。
それは違うだろって思ったよ。死んだ命を悼むことは大切だけど、いつまでも縛られてるのは逆によくない。
そういえばどこかで、「男は過去に生きる生きもの。女は前を向いて生きる生きもの」って聞いた。
痛みに直面してもすぐに自分のペースを取り戻すことができる…なんて女らしい生き方なんでしょう!
ほらいつきさん、女子力女子力ww
Re:無題
返事遅れてごめんなさいー。
ま、とっても女子力が高いってことで妥協しとくよ! だってそっちの方がいいし。
私はいつでもどこでも前向き(懲りない)です。
ま、とっても女子力が高いってことで妥協しとくよ! だってそっちの方がいいし。
私はいつでもどこでも前向き(懲りない)です。